ご無沙汰しております。うらわの民です。
最近思うこともあり、ちょっと表題の件について調べてみようということでつらつら書いていきます。
1. 導入:税金の使い道、本当に効率的ですか?
「税金、もっと有効に使ってくれよ…」
そう口癖のように言っている人、思っている人、たぶん日本に1億人くらいいるんじゃないでしょうか?
特に、国や自治体の公共事業やシステム開発のニュースを見るたびに、なんかモヤモヤする人多いと思います。
一応、我々の税金を利用して組成される公共のプロジェクトは「競争入札」が原則。
複数の業者が価格や技術を競い合って、一番良いところが選ばれるハズなんです。
でも、実際どうですか?
特定の企業が何年も同じシステムを受注し続けていたり、入札価格がいつも「予定価格ギリギリ」で決まっていたりしません?
これって、本当に「競争」してるんでしょうか?
私の仮説は、「日本の競争入札は、実質的に機能不全に陥っているんじゃないか」です。
今回の記事では、この「機能不全」の背景にある構造的な問題を、独断と偏見を交えながら、書いていきたいと思います。
2. 「機能不全」の背景にある構造的な問題
問題点1:競争を阻む「仕様書の壁」
入札の書類を見たことある方はわかると思うんですが、プロジェクトの要件を定めた「仕様書」というやつが、本当に鬼門です。
本来、提案の条件となる仕様書は公平であるべきです。
しかし、大規模なシステムや専門性の高い公共事業の場合、こうなりがちです。
- 前回受注した企業の技術や製品を前提に仕様書が作られてしまう。
- 「既存システムとの連携が必須」など、新規参入がほぼ不可能な条件が盛り込まれる。
結果として、どうなるか。
「え、これ、某社にしかできないじゃん…」と誰もがわかる"出来レース"が生まれます。
誰も参加できない「不落(ふらく)」や、一社しか応札しない「一者応札」が増えているのは、まさにこの「仕様書の壁」が高すぎる証拠ですね。
形式上は「競争入札」でも、実態は「指名手配」。この構造が変わらない限り、これって、競争が働いていないのではないでしょうか?
問題点2:安さよりも「実績と信頼」が優先される論理
公共事業や国の巨大システムは、途中で失敗して止めるわけにはいかないじゃないですか。我々国民の生活に直結してますからね。
だから、当局側が「安ければ誰でもいい」なんて簡単に言えないのは理解できます。彼らにとって一番怖いのは「事故」や「炎上」です。
結果、どうなるか?
価格だけでなく技術力も評価する「総合評価落札方式」という仕組みの裏側を見てみるとわかります。
入札の評価基準には、「過去の同種・類似の実績」や「保有する技術者の数」に非常に高い点数が割り振られます。これが実質的な「実績の壁」といえます。
価格競争で頑張って安く提案しても、「技術点」の差で大手に逆転されるケースが多い。
新しい、安くて革新的な技術を持っている中小企業やベンチャー企業は、この「実績」がゼロなので土俵に上がることすら難しい。
実際、会計検査院の公表データでも、ITシステムについては、一般競争入札でも一者応札(参加者が1社のみ)の割合が7割に達しているという現実があります。
※出典
政府IT発注「競争入札の7割に競争なし」の実情、大型案件ほど1者応札が増えるわけ | 日経クロステック(xTECH)
二次情報ですみません。。。
リスクを極端に避けたい発注側と、実績を強みにしたい大手企業の「既得権益のループ」が完成してしまっているように見えます。結果的に、新しい技術を試す意欲よりも「今のやり方を安全に続ける能力」が評価されてしまう構造になっているわけです。
問題点3: 制度疲労。デフレ時代の慣習が抜けない行政の価格意識
問題点を掘り下げてきましたが、この構造的な問題の根っこには、長きにわたる「デフレ時代の慣習」があるんじゃないかというのが私の見解です。
20年以上続いたデフレ期、行政にとっての「正義」は「いかにコストを安く抑え、税金を節約したか」でした。この「価格を叩く」意識が染みついてしまっているんです。
しかし、今は状況が変わりました。日本はようやくインフレに切り替わりつつあります。
にもかかわらず、入札の現場では、デフレ時代の成功体験(=安さこそ正義)が抜けず、資材費や人件費の高騰を考慮しない厳しい価格基準が温存されたままになっている可能性があります。
この「デフレ期の価格意識」と「インフレ期のコスト」のギャップが、市場とのズレを生み、ますます競争意欲を削いでいるんじゃないでしょうか。
問題点4:「予定価格」という透明性の闇
最後に、競争の核心である「価格」に関するモヤモヤです。
競争入札では、発注側が「この事業にかかる費用の目安」として『予定価格』というものを事前に設定します。これは基本的に非公開ですが、落札価格がこの予定価格に「異常なほど近い」ケースが多すぎませんか?
これが何を意味するかというと、業者が価格を安く抑える努力をするのではなく、「いかにしてこの非公開の予定価格を予想・調整するか」に集中している可能性がある、ってことです。
本来、競争入札は業者間の価格競争で、「安い価格=税金の節約」になるはずです。しかし、もし予定価格が事前にバレていたら...
「どうせバレてるなら、予定価格ギリギリで出せば確実に儲かるでしょう」
こんなロジックが働いたら、価格競争なんて起こるわけがないですよね。予定価格の決定プロセスや透明性自体が、競争を阻む大きな要因になっているんじゃないでしょうか。
3. 機能不全がもたらす「国民へのツケ」
競争が働かない入札が続くことで、僕らの税金や社会にどんな悪影響があるんでしょうか?その「ツケ」は結局、我々国民が払うことになるんですよ。
ツケ1:非効率な税金の使い方が止まらない(費用対効果の低下)
競争がないってことは、業者はギリギリまで価格を下げる必要がないわけですよね。
極端な話、もし300万円で済むシステム開発に、予定価格ギリギリの500万円で落札されたとしたら?その差額200万円は、本来節約できたはずの僕らの税金です。
そして、さらにたちが悪いケースがあります。
当局側が「税金のムダ遣い」批判を恐れるあまり、無理に予定価格を低く設定してしまうパターンです。
予定価格が低すぎると、まともな企業は「このクオリティは無理だ」と入札を諦めてしまいます。
結果、最低限の仕様すら満たさないクオリティで妥協せざるを得なくなり、結局は手直しや追加発注でさらにコストがかかる。
誰もが「ちょっと高すぎない?」と感じる公共事業のコストも、競争の原理が働かない限り、市場価格よりも高いコストで実行され続けます。また、安さを追求した結果、仕様を満たさない低品質なサービスを税金で買うことになってしまうのも、実質的な「税金のムダ遣い」に他なりません。
ツケ2:イノベーションの阻害で技術が停滞
「実績の壁」や「仕様書の壁」によって新しい企業が参入できないと、何が起こると思いますか?
新しい技術やアイデアが、公共分野になかなか入ってこない。
既得権益を持つ企業は、無理にリスクを取って革新的なことに挑戦する必要がない。
例えば、海外では最先端のAI技術で効率化されている行政サービスが、日本では「既存システムとの連携」を理由に何十年も前の古い技術で動いている...なんて笑えない話もあります。
結局、私たちが「もっと便利な行政サービス」や「もっと効率的なインフラ」を享受するチャンスを、この硬直した入札構造が奪っているんじゃないでしょうか。
ツケ3:特定の業者への「既得権益化」
特定の企業群が「安全だから」「実績があるから」という理由で、安定的に公共の仕事を取り続ける。これは市場の健全な新陳代謝を妨げます。
特に地方自治体などでは、長年特定の業者との間で「持ちつ持たれつ」の関係が生まれてしまい、真の意味での競争環境が崩壊しているケースも少なくありません。
税金が原資であるにもかかわらず、その恩恵を受ける企業が固定化されるのは、民主的な市場経済の観点から見ても問題だと言えるでしょう。
4. まとめと提言:競争を再び有効にするには?
改めての結論
日本の競争入札は、形式上のルールはあれど、「仕様書の壁」「実績偏重の論理」「予定価格の不透明性」、そして「デフレ期の価格意識」といった構造的な要因によって、実質的な機能不全に陥っている可能性が高いと考えられます。そして、そのツケは、非効率な税金の使われ方という形で、我々国民に回ってきているわけです。
じゃあ、私たちにできることってなんでしょうか?
この状況を変えるには、制度の設計そのものを見直す必要があります。
- 仕様書の透明化と、新規技術への柔軟な対応
- 「価格」と「実績」の評価バランスの再構築
そして何より、私たち国民が主体的に動くための具体的な提言としては、これです。
- 「あの案件、どうなった?」と問い続ける納税者の眼
役所は情報公開請求やパブリックコメントで意見を出すなど、国民から「圧」をかけられないと動きません。私たち一人ひとりが、自分の街の大きな入札案件やシステム発注について、「本当に競争が働いたのか?」「なぜこの価格なのか?」と情報公開を求め続けることが、当局への一番のプレッシャーになるのではないでしょうか。
一人ひとりが、自分の納めた税金の使い道について関心を持ち続け、声を上げることが、この機能不全を打破する最大の力になるのではないか、と高めの玉を投げて、本記事は終わらせていただきます。
本日はこれまで。